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『ツリー・オブ・ライフ』@渋谷東急

 

 

 

(すみません、まじめです)

 

映画史で決定的なシーンを100個選べ、と言われたら必ず入ると思われるこんな瞬間があります。

『2001年宇宙の旅』で猿の投げた骨がジャンプカットでロケットに切り替わる瞬間です。

 

本作では、その猿以前である「宇宙の誕生」から「両生類時代」への大胆な跳躍、そして「キリスト教の限界」から「高度資本主義」へ細部を丹念に追っていきます。その意味でこの作品は、『2001年宇宙の旅』の序章として観るとしっくりきます。

 

アングルはまだまだあります。

 

「偶然から生まれた地球」という科学的事実と、「神が作った世界」というキリスト教的物語の対比というアングルです。

 

この2つの解釈をタイトルから拝借して「木」に例えてみましょう。

 

「宇宙の偶然が生み出した木」はビッグバンから神秘的な進化を繰り返して、世界という大木に成長しました。

一方、「キリスト教が生み出した木」は神様が生命に息を吹き込み、世界という大木を作り出しました。

 

これらのどちらを信じて人間は生きていけばよいのか。それとも新たな道を探すべきなのか?(もちろん、その答えは映画内にはありませんが)そんな真摯な問いが愚直に問われる作品です。

 

ここで補助線をもう1つ。

 

フランスの哲学者ドゥルーズと精神学者ガタリの共著『千のプラトー』が猛烈に批判しているもの。それは「ツリー型」の世界観です。つまり、きちんとした根を持ち成長していく物語もそこには含まれます。そんな物語をドゥルーズ=ガタリは否定しました。「世の中、そんな単純じゃないぞ。騙されるな」と。そんな「ツリー型」は存在せず、ただリゾームだけがあるのだ、と2人は宣言するわけです。

 

タイトルを見て、「おいおい大丈夫か?」と思ったのは「ツリー」という単語が含まれていることでした。なにせ直訳すると「人生の木」ですから。そんな安易な例えには与しないぞ、と意気込んで劇場に入ったわけです。

 

結論。

映像は素晴らしいです。光の大胆さによって、観ている最中は恍惚になれます。

しかし、「内容」は意味がありません。なぜなら神と語り合っているからです。しかも、キリスト教の神とです。これでは台無しです。スタイルは素晴らしいのに台無しになってしまう、その一例として・・・鬼プッシュです。

 

 

『ハリー・ポッターと死の秘宝 PART2』@渋谷シネパレス

 

 

 

 

ファンの皆様には申し訳ないのですが、原作も未読、映画版もすべては観ていません。こんな状況でシリーズ最終作を観に行くことが間違っている、と自分でも分かっています。

 

劇場に向かった理由はただ一点。3D作品としての質を確認するためです。

なぜなら、前作『ハリー・ポッターと死の秘宝 PART1』のトラブルが気になっていたからです。というのも、PART1は3D作品と銘打たれていたのに「3Dへの変換が公開までに間に合わないので2Dになります」というお詫びの文章が公開前直前になって、劇場に貼られていたのです。

 

専門的なことは分かりませんが、PART1も3D用の撮影は行われていたのでしょう。ただし、3Dに変換できなかった。これは珍しいパターンだと思い、その「3D用に撮影はしたが、公開は2D」というPART1を観に行きました。「ここは飛び出す予定だったのかな?」というショットはいくつかあったものの、内容はほとんど覚えておらず、ただただ予定調和なストーリーへの憤りだけが残っています。驚くことに本当に何も覚えていません。

 

そこで、ようやくPART2が公開されました。シリーズ完結編にして初の3D。もはや、観るモチベーションは内容ではありません。3Dリベンジです。ハリポタを3Dで観たい。それだけでした。

 

結果・・・ハリーポッターは3Dであろうが2Dであろうが、僕の人生には全く必要ありません。1ミリも。

ただし、ヴォルデモートの造形は素晴らしいですね。あの鼻の潰れ感は、ファンタジーのボスとしては秀逸です。オススメです。

 

2011.08.11 UP

『スーパー!』

『スーパー!』@シアターN渋谷

 

 

 

あらすじだけ聞くと『キック・アス』と似た作品ですが、目指すところは全く違います。

 

普通の人である主人公がヒーローになりきる。そして、悪と戦う。

 

これが『キック・アス』と『スーパー!』の共通した設定です。

前者のヒーローはファンタジー追求型、後者のヒーローはリアリティー追求型、とひとまずは仮定できると思います。

 

象徴的なのは、主人公とヒロインの関係性です。

『キック・アス』では、高校生と11歳の少女。

『スーパー!』では、中年の親父と20代前半の女性。

 

<以下、ネタばれ注意>

『スーパー!』では2人は寝ます。

この関係性において、この物語が目指すリアルがはっきりとします。

エレン・ペイジは無残な姿であっけなく死亡します。

 

そう、メタヒーローモノとしてのファンタジーに回収しないという一点において、この作品はリアリティーを観る者に強います。

リアリティーを獲得するにはこうも迂回しなくてはならないのか、と途方にも暮れました。

 

ラストも素晴らしい。観るべきです。