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2011.05.24 UP

『八日目の蝉』

『八日目の蝉』@渋谷東急

 

 

 

 

『八日目の蝉』という単語は劇中で2回登場します。

1回目は井上真央演じる秋山恵理菜のセリフです。

 

「蝉は七日しか生きることができないけど、もし八日目まで生きる蝉がいたら悲しいと思う。なぜなら(蝉の)知人がすべて死んでしまい一人ぼっちだから(要旨)」

 

2回目は小池栄子演じる安藤千草のセリフです。

 

「こないだ八日目の蝉の話、したでしょう。もしかしたら、八日目の蝉って悲しいんじゃなくて、みんなが見ていない素晴らしいモノを見ることができて幸せなのかもしれない(要旨)」

 

前者は「生きることは苦しいことだ」と考えます。後者は「生きることは苦しいことばかりではない。素晴らしい体験ができるんだ」と強く人生を肯定します。

 

この通俗性をどう考えればいいのでしょうか。通俗性と普遍性は常に隣り合わせです。それ故にこのラインは「この作品は通俗で価値がない」と断言されたり、はたまた「普遍的で価値ある作品だ」と評価が真逆になる危うい橋でもあります。

 

正直な気持ちを言うと、通俗的であろうと普遍的であろうと、どっちでもいいのです。

ただ観ているだけですから。

 

最後に井上真央について。「幼少期を子役として過ごした時間」=「誘拐された幼少期」という実生活と物語をリンクさせるキャスティングは『ブラック・スワン』のナタリー・ポートマンと同じ構造です。単純に女優のモチベーションが違うというのは観客にとって、その前知識のありなしに関わらず、僕は大賛成です。