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『ゴーストライター』@ヒューマントラストシネマ渋谷

 

 

 

 

 

 

ロマン・ポランスキー監督の新作サスペンスです。

 

正直、あまり期待していませんでした。

ポランスキーがユアン・マクレガーを使って、さらっと撮ったサスペンス風のドラマかと思っていました。

 

たしかにそうなんです。中盤まではけっこう弛緩もしています。

 

英国人役のマクレガーがアメリカの孤島に乗り込み、元大統領のゴーストライターとして自伝を書く。そんな設定は、ポランスキー自身のアメリカでの絶望や不遇にたとえられるでしょう。

 

主人公のゴーストライターは、プロとして・仕事として元大統領の自伝を完成させようとします。そこに真実は必要ありませんし求められてもいません。出版社の求めるゴシップ的な要素をただ散りばめ、元大統領の機嫌を損ねない程度に取材をし、原稿をまとめればよいわけです。

 

ですが、ある陰謀の陰を知ってしまうわけです。

サスペンスなので、これ以上筋を割れないのですが・・・

 

サスペンスである以上、人生訓などありません。

 

問題はラストショットです。

「ラストショットが良ければすべてチャラ理論」からすると、この作品はそれに値すると考えます。

ラストショットの余韻。

それだけのためにスクリーンを見続けていられる。

これ以上のことをサスペンスに求めるべきではないでしょう。

 

ジャンル映画としては・・・烈プッシュです!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

 

『ハリー・ポッターと死の秘宝 PART2』@渋谷シネパレス

 

 

 

 

ファンの皆様には申し訳ないのですが、原作も未読、映画版もすべては観ていません。こんな状況でシリーズ最終作を観に行くことが間違っている、と自分でも分かっています。

 

劇場に向かった理由はただ一点。3D作品としての質を確認するためです。

なぜなら、前作『ハリー・ポッターと死の秘宝 PART1』のトラブルが気になっていたからです。というのも、PART1は3D作品と銘打たれていたのに「3Dへの変換が公開までに間に合わないので2Dになります」というお詫びの文章が公開前直前になって、劇場に貼られていたのです。

 

専門的なことは分かりませんが、PART1も3D用の撮影は行われていたのでしょう。ただし、3Dに変換できなかった。これは珍しいパターンだと思い、その「3D用に撮影はしたが、公開は2D」というPART1を観に行きました。「ここは飛び出す予定だったのかな?」というショットはいくつかあったものの、内容はほとんど覚えておらず、ただただ予定調和なストーリーへの憤りだけが残っています。驚くことに本当に何も覚えていません。

 

そこで、ようやくPART2が公開されました。シリーズ完結編にして初の3D。もはや、観るモチベーションは内容ではありません。3Dリベンジです。ハリポタを3Dで観たい。それだけでした。

 

結果・・・ハリーポッターは3Dであろうが2Dであろうが、僕の人生には全く必要ありません。1ミリも。

ただし、ヴォルデモートの造形は素晴らしいですね。あの鼻の潰れ感は、ファンタジーのボスとしては秀逸です。オススメです。

 

2011.07.17 UP

『ムカデ人間』

『ムカデ人間』@シネクイント

 

 

 

 

こんな映画です。

 

>ドイツ郊外の人里離れた屋敷を舞台に、数人の人間の口と肛門をつなぎ合わせた「ムカデ人間」の創造に心血を注­ぐマッド・サイエンティストと、彼の犠牲になった人間たちの恐怖を描く。

 

ホラーとコメディが紙一重、という作品は多いですが。今作もその例に漏れません。

 

シチュエーションが完全にコントなので(もちろん全編ホラータッチ。それがフリにもなっていると考えれば、コントの王道かもしれません)笑い所がしっかりとしているのが好印象です。

 

ある重要なシーンで、日本人ヤクザ演じる北村昭博が叫んだ一言により、ホラー映画とはいえ、劇場は爆笑に包まれていました。健全です。

 

「恐ろしさ」が「笑い」に変わって、最終的には「喜び」になっていました。

 

(最近、たまたま読んだのですが)スピノザは「喜び」をこう理解しています。

 

「喜びとは、精神がより大きな完全性へ移行するような精神の受動」である、と。

 

今作の主役であるマッドサイエンティストも「ムカデ人間」という完全性を求めます。喜びのために。

 

ホラーとコメディ、2つ合わせた完全性へ、少しでも向かっていこうとする意志を強く評価します。