2011.07.09 UP
『奇跡』
『奇跡』@新宿バルト9
2011年3月に全線開通した九州新幹線をモチーフにした映画です。
とはいっても九州新幹線は、ほとんど登場しません。
メインとなるのは、まえだまえだの2人の奔放さと成長です。
>せりふが決められていない状況の中で周囲の友人たちに突然質問されることによって、普段考えていることよりも、一歩深く踏み込んだところにある感情を引き出すことができる、というのが是枝監督の持論
この手法は今作でも有効です。
しかしこの手法、僕は映画としては決定的に欠けてしまうものがあると思います。
「普段考えていることよりも、一歩深く踏み込んだところにある感情」というものこそ、作劇によって出現させるのが映画じゃないですか。それがフィクションの強度でしょう。
それらを子どものアドリブに託す。ああ、なんて野暮な手法なんでしょうか。映画のリアルを、即興のリアルに置き換えるなんて。
一見すると、それらのシーンはリアルに感じられます。でも、本当のリアルに違和感があったとしたら? 例えば、それまでは役者が演技を続けていて、いきなり「本当のリアル」になったとしたら? それ自体が違和感になりはしないでしょうか。それはフィクションとノンフィクションを行き来する差異ではなく、ただの違和です。
しかも、その違和はフィルムをぎくしゃくさせるだけなのですから。
【重要】くるりのエンディング曲『奇跡』は、恐ろしく素晴らしいです。