2011.09.01 UP
『ゴーストライター』
『ゴーストライター』@ヒューマントラストシネマ渋谷
ロマン・ポランスキー監督の新作サスペンスです。
正直、あまり期待していませんでした。
ポランスキーがユアン・マクレガーを使って、さらっと撮ったサスペンス風のドラマかと思っていました。
たしかにそうなんです。中盤まではけっこう弛緩もしています。
英国人役のマクレガーがアメリカの孤島に乗り込み、元大統領のゴーストライターとして自伝を書く。そんな設定は、ポランスキー自身のアメリカでの絶望や不遇にたとえられるでしょう。
主人公のゴーストライターは、プロとして・仕事として元大統領の自伝を完成させようとします。そこに真実は必要ありませんし求められてもいません。出版社の求めるゴシップ的な要素をただ散りばめ、元大統領の機嫌を損ねない程度に取材をし、原稿をまとめればよいわけです。
ですが、ある陰謀の陰を知ってしまうわけです。
サスペンスなので、これ以上筋を割れないのですが・・・
サスペンスである以上、人生訓などありません。
問題はラストショットです。
「ラストショットが良ければすべてチャラ理論」からすると、この作品はそれに値すると考えます。
ラストショットの余韻。
それだけのためにスクリーンを見続けていられる。
これ以上のことをサスペンスに求めるべきではないでしょう。
ジャンル映画としては・・・烈プッシュです!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
2011.08.13 UP
『ハリー・ポッターと死の秘宝 PART2』
『ハリー・ポッターと死の秘宝 PART2』@渋谷シネパレス
ファンの皆様には申し訳ないのですが、原作も未読、映画版もすべては観ていません。こんな状況でシリーズ最終作を観に行くことが間違っている、と自分でも分かっています。
劇場に向かった理由はただ一点。3D作品としての質を確認するためです。
なぜなら、前作『ハリー・ポッターと死の秘宝 PART1』のトラブルが気になっていたからです。というのも、PART1は3D作品と銘打たれていたのに「3Dへの変換が公開までに間に合わないので2Dになります」というお詫びの文章が公開前直前になって、劇場に貼られていたのです。
専門的なことは分かりませんが、PART1も3D用の撮影は行われていたのでしょう。ただし、3Dに変換できなかった。これは珍しいパターンだと思い、その「3D用に撮影はしたが、公開は2D」というPART1を観に行きました。「ここは飛び出す予定だったのかな?」というショットはいくつかあったものの、内容はほとんど覚えておらず、ただただ予定調和なストーリーへの憤りだけが残っています。驚くことに本当に何も覚えていません。
そこで、ようやくPART2が公開されました。シリーズ完結編にして初の3D。もはや、観るモチベーションは内容ではありません。3Dリベンジです。ハリポタを3Dで観たい。それだけでした。
結果・・・ハリーポッターは3Dであろうが2Dであろうが、僕の人生には全く必要ありません。1ミリも。
ただし、ヴォルデモートの造形は素晴らしいですね。あの鼻の潰れ感は、ファンタジーのボスとしては秀逸です。オススメです。
2011.07.17 UP
『ムカデ人間』
『ムカデ人間』@シネクイント
こんな映画です。
>ドイツ郊外の人里離れた屋敷を舞台に、数人の人間の口と肛門をつなぎ合わせた「ムカデ人間」の創造に心血を注ぐマッド・サイエンティストと、彼の犠牲になった人間たちの恐怖を描く。
ホラーとコメディが紙一重、という作品は多いですが。今作もその例に漏れません。
シチュエーションが完全にコントなので(もちろん全編ホラータッチ。それがフリにもなっていると考えれば、コントの王道かもしれません)笑い所がしっかりとしているのが好印象です。
ある重要なシーンで、日本人ヤクザ演じる北村昭博が叫んだ一言により、ホラー映画とはいえ、劇場は爆笑に包まれていました。健全です。
「恐ろしさ」が「笑い」に変わって、最終的には「喜び」になっていました。
(最近、たまたま読んだのですが)スピノザは「喜び」をこう理解しています。
「喜びとは、精神がより大きな完全性へ移行するような精神の受動」である、と。
今作の主役であるマッドサイエンティストも「ムカデ人間」という完全性を求めます。喜びのために。
ホラーとコメディ、2つ合わせた完全性へ、少しでも向かっていこうとする意志を強く評価します。