2011.08.17 UP
『エッセンシャル・キリング』
『エッセンシャル・キリング』@シアター・イメージフォーラム
イエジー・スコリモフスキ監督の最新作です。
恥ずかしながら彼の作品を観るのは初めてという勉強不足ぶりでございます。
ですので、語る資格はありません。
いくつか彼のインタビューを貼るのがせめてもの礼儀でしょう。
<上映館のイメージ・フォーラムで行われた来日時のインタビュー>
http://www.outsideintokyo.jp/j/interview/jerzyskolimowski/index2.html
このインタビューを補助線にして、いくつか駄文を。
>JS:いや、私はあらゆる情報を意図的に避けているつもりだ。名前も全く出さないし、場所を特定するような説明もないはずだ。日付さえ入れないようにした。世界のどこかの、ある緊張/戦争を描いた政治的な映画では一切ない。人によって、この映画がどこで始まるか考えるのは自由だ。
力強いメッセージですね。強度に相当の自信がないとこんなこと言えません。
そして、ヴィンセント・ギャロのキャスティングについてこう語ります。
>JS:彼はアラブ人だと解釈することもできる。だがそこに疑念を持ち、アメリカで生まれ育ちながらその数年前に中東へ渡り、イスラム教徒となった男ということでももちろん構わない。それが台詞を使わない主な理由でもあった。彼のアクセント、言葉でしゃべってしまうとあまりに多くの情報を流してしまうから。
そう、彼は何人でもないのです。これは恐ろしいですね。
さらに、こんな想定にだって、チャーミングな反応を見せる監督。
>OIT:オサマ・ビンラディンです。それは政治的な話になるので触れたくないかもしれませんが、僕の中では彼を連想させる瞬間がありました。
JS:聞いてくれ。私はあらゆる解釈となるようにこの映画を意図的に曖昧にした。その上で、どんな解釈でも私は快く迎える。それがどれだけ矛盾していても(笑)。
これ以上、続ける必要はないでしょう。
スクリーンを観ることだけがすべてです。
2011.08.15 UP
『トランスフォーマー/ダークサイド・ムーン』
『トランスフォーマー/ダークサイド・ムーン』@渋谷HUMAXシネマ
変形です。車が機械に変形します。
その瞬間が気持ち良いです。
マイケル・ベイ先生の豪腕が光っています。とにかく過剰。物語も変形もキャラクターもすべてが過剰です。「もうお腹いっぱいだよ」と思った直後に大盛りのお皿がまた出てくる的展開が連続する、と例えれば分かっていただけるでしょうか?
例えばヒロイン。「こんな女いないよ!!」と思わせることによって産まれる圧倒的なリアリティ、などと褒めるのはやりすぎでしょうか。
物語はどうでもいいと思います。変形を観るだけでいいです。
できればIMAXで観たほうが良いです。せっかくの変形をわざわざ暗くして観る必要はないでしょう。是非、IMAXでお願いします。
マイケル・ベイ先生、大万歳です。嫌いになれません。
2011.08.14 UP
『ツリー・オブ・ライフ』
『ツリー・オブ・ライフ』@渋谷東急
(すみません、まじめです)
映画史で決定的なシーンを100個選べ、と言われたら必ず入ると思われるこんな瞬間があります。
『2001年宇宙の旅』で猿の投げた骨がジャンプカットでロケットに切り替わる瞬間です。
本作では、その猿以前である「宇宙の誕生」から「両生類時代」への大胆な跳躍、そして「キリスト教の限界」から「高度資本主義」へ細部を丹念に追っていきます。その意味でこの作品は、『2001年宇宙の旅』の序章として観るとしっくりきます。
アングルはまだまだあります。
「偶然から生まれた地球」という科学的事実と、「神が作った世界」というキリスト教的物語の対比というアングルです。
この2つの解釈をタイトルから拝借して「木」に例えてみましょう。
「宇宙の偶然が生み出した木」はビッグバンから神秘的な進化を繰り返して、世界という大木に成長しました。
一方、「キリスト教が生み出した木」は神様が生命に息を吹き込み、世界という大木を作り出しました。
これらのどちらを信じて人間は生きていけばよいのか。それとも新たな道を探すべきなのか?(もちろん、その答えは映画内にはありませんが)そんな真摯な問いが愚直に問われる作品です。
ここで補助線をもう1つ。
フランスの哲学者ドゥルーズと精神学者ガタリの共著『千のプラトー』が猛烈に批判しているもの。それは「ツリー型」の世界観です。つまり、きちんとした根を持ち成長していく物語もそこには含まれます。そんな物語をドゥルーズ=ガタリは否定しました。「世の中、そんな単純じゃないぞ。騙されるな」と。そんな「ツリー型」は存在せず、ただリゾームだけがあるのだ、と2人は宣言するわけです。
タイトルを見て、「おいおい大丈夫か?」と思ったのは「ツリー」という単語が含まれていることでした。なにせ直訳すると「人生の木」ですから。そんな安易な例えには与しないぞ、と意気込んで劇場に入ったわけです。
結論。
映像は素晴らしいです。光の大胆さによって、観ている最中は恍惚になれます。
しかし、「内容」は意味がありません。なぜなら神と語り合っているからです。しかも、キリスト教の神とです。これでは台無しです。スタイルは素晴らしいのに台無しになってしまう、その一例として・・・鬼プッシュです。