WonderNotes 学生の可能性を可能にするポータルサイト ワンダーノーツ

『ハングオーバー!! 史上最悪の二日酔い、国境を超える』@新宿バルト9

 

 

 

『ハングオーバー! 消えた花ムコと史上最悪の二日酔い』の続編です。

 

コメディ映画を説明することほど野暮なことはないので、結論からいきます。

 

「おもしろいっすよ」

 

まあ、前作と同じクオリティはあるので、何も問題ありません。

 

笑えます。

下品です。

前作同様、エンドロールの後、爆笑のMAXがきます。

 

まったく変わらない構成。特にパワーアップしたわけでもない内容。

でも、いいじゃないですか。

こんなことを2回やっただけでも。

 

タイトルだって

1作目が『ハングオーバー! 消えた花ムコと史上最悪の二日酔い』。

続編が『ハングオーバー!! 史上最悪の二日酔い、国境を超える』ですから。

 

「史上最高の二日酔い」が「国境を越え」ただけですから。内容は全くかわっていないと、邦題をつけた人だって重々承知なわけです。そこは偉い!!

 

2011.07.09 UP

『奇跡』

『奇跡』@新宿バルト9

 

 

2011年3月に全線開通した九州新幹線をモチーフにした映画です。

とはいっても九州新幹線は、ほとんど登場しません。

 

メインとなるのは、まえだまえだの2人の奔放さと成長です。

 

>せりふが決められていない状況の中で周囲の友人たちに突然質問されることによって、普段考えていることよりも、一歩深く踏み込んだところにある感情を引き出すことができる、というのが是枝監督の持論

 

この手法は今作でも有効です。

しかしこの手法、僕は映画としては決定的に欠けてしまうものがあると思います。

 

「普段考えていることよりも、一歩深く踏み込んだところにある感情」というものこそ、作劇によって出現させるのが映画じゃないですか。それがフィクションの強度でしょう。

 

それらを子どものアドリブに託す。ああ、なんて野暮な手法なんでしょうか。映画のリアルを、即興のリアルに置き換えるなんて。

 

一見すると、それらのシーンはリアルに感じられます。でも、本当のリアルに違和感があったとしたら? 例えば、それまでは役者が演技を続けていて、いきなり「本当のリアル」になったとしたら? それ自体が違和感になりはしないでしょうか。それはフィクションとノンフィクションを行き来する差異ではなく、ただの違和です。

 

しかも、その違和はフィルムをぎくしゃくさせるだけなのですから。

 

【重要】くるりのエンディング曲『奇跡』は、恐ろしく素晴らしいです。

 

『X-MEN:ファースト・ジェネレーション』@TOHOシネマズ六本木

 

 

X-MEN映画を観るのは初めてです。

世界観など全く知らない観客の三言目としては、大上段に構えますが・・・

 

「上品なユーモアで練られた、上質アクション」と褒めるくらいであれば、X-MENというジャンルに失礼には当たらないでしょう。

 

数多くのX-MENが登場しますが、どのキャラクターも際だって愛おしい。登場するすべてのキャラクター(悪役も含め)を愛することだって可能なくらい、それぞれの人物描写が素晴らしい。

 

もちろん、人物描写が良いからキャラクターが立っているというだけではありません。物語全体に対する配置も良い案配です。

 

マイノリティーのX-MENは、そのまま人間社会の縮図です。人間よりマイノリティーなX-MENは、そのまま我々であり、そのX-MENキャラクターを愛するということは、人間そのものへの愛とイコールになります。その時、差別というのはエンドレスに続く恐ろしいものだと再確認します。そして、そこには簡単な解決などなく、むしろ仲間が分裂していく結果を生みます。

 

それでも。

仲間が新しい土地を探して、旅立ったとしても。

動き続けなくてはいけない。裏切った仲間と同じように。目的地が同じだとしても、です。

 

ここまできちんと世界と向き合っている映画だとは思いませんでした。傑作です。