WonderNotes 学生の可能性を可能にするポータルサイト ワンダーノーツ

『SUPER 8/スーパーエイト』@ヒューマントラストシネマ渋谷

 

 

スピルバーグ&J・J・エイブラムスのタッグということを一旦無視して劇場の座席に座りました。

 

どうしても、スピルバーグのジュブナイル感とエイブラムスのストーリーテリングの融合を期待してしまうため、その雑念を振り払ってスクリーンを凝視し続けました。

 

「傑作ではないけど、夢を見ることができる」という微妙なことになりました。

傑作でないというのは、伏線が回収されていないことが多々あったり、脚本が雑ざったりなどの原因があるんですが、まあこれはいいでしょう。細かいことに突っ込む映画ではないです、これは。

 

素晴らしい瞬間はあります。それは一瞬一瞬の輝きです。そんな輝きが終盤に2〜3個でもあれば、映画というのは全体的にも輝くものです。

 

ラストシーン、主人公が手から離すもの。「それ」が主人公から離れる瞬間、確かにスクリーン前の「僕ら」は夢を見ていたのです。そんな一瞬があれば、すべてが許せて愛おしくなる。そんな111分でした。

 

 

2011.06.15 UP

『さや侍』

『さや侍』@渋谷シネパレス

 

 

 

 

松本人志監督の3作品目は、父親と娘の物語です。

 

いくつか箇条書きで問題提起だけ。

 

 

●素人の王様、野見さんの狂気がどこまでスクリーンに写っているのか?

 

●「父親と娘の関係性」という、ド直球すぎる物語に2011年に公開すべき“ひねり”が加えられているのか?

 

●単調になりがちな構造「30日の業」は変化に富んだ演出がなされているか?

 

●「さや」しか持たない侍は、なぜ刀を手にしないのか?

 

 

観る前でも、観終わった後でも、これらの疑問は有効でしょう。

 

「『映画』のための映画」とでもいいましょうか。それがきちんと脱構築されたものであれば刺激的で、猛烈な魅力を放つことでしょう。「壊す」ためには、その「壊す」ものを直視しなくてはなりません。自分で作ったつたない粘土を壊すことが前衛的なわけはありません。むしろ、そのつたない粘土の素晴らしさを語り続けること、それが真の前衛だと信じるしかないのです。

2011.06.12 UP

『悪魔を見た』

『悪魔を見た』@シネマート六本木

 

 

 

公開からかなり遅れたんですが、“韓国映画ならロングラン”ことシネマート六本木に行ってきました。

 

お客は僕を含めて、3名という渋めの上演で、プライベートルーム的にリラックスして鑑賞しました。が、内容は全くリラックスしないというアクロバティックな時間でした。

 

イ・ビョンホン目当てのおばさまがこの映画を観て「こんなつもりじゃなかった」と涙目で映画館を後にする、そんな噂を聞くほどです。それほどまでにショッキングな内容である、と事前情報で耳に挟んでいました。

 

結果、どうだったか。たしかに暴力描写は凄まじいものがあります。

 

そして、テーマはド直球。

 

「復讐はどこまで復讐できるのか」

 

復讐は連鎖していくものかもしれない。しかし、どこまで復讐を突き詰めることができるのか。どこまで復讐すれば、スッキリするのか。そこを徹底して描いていきます・・・。

 

もちろん、結論は観客がそれぞれ持ち帰るべきものです。

僕の結論はこうです。

 

「どこまで復讐しても絶対にスッキリしないから、別にしなくてもよくね?」

 

という身も蓋もない結論でした。そこを含めて「当事者にしか分からない苦しみがある」というメッセージは消されます。なぜなら、当事者などどこにもいないからです。たとえ、最愛な人を失ったとしても。