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はじめまして。放送作家の林と申します。

まずこのブログの趣旨を簡単に説明しておきます。

去年2010年、何を血迷ったのか「劇場で365本映画を観る」という枷を自分に課しました。

その結果、惜しくも目標には20本届かず、345本観ました。

1本を2時間だと仮定すると、2時間×345本=690時間。

日数に換算すると約29日もの間、劇場の椅子に座っていただわけです。

約1ヶ月を丸々、映画館で過ごすということは1年の1/12ですから

「映画とは人生とほぼ同じだ」と断言したい誘惑にもかられました。

今年2011年は365本を観るのは無理だと思います。

(去年、その目標のために様々なものを犠牲にしました)

しかし、去年感じた「映画は人生そのものだ」という感覚はまだ残っています。

その感覚を残したまま、今年はこのブログで映画鑑賞の記録をつけようと思います。

映画の専門的な勉強もしていなく、偉そうなことは書けませんが、ただ記録をつけます。

よろしくお願いします。

 

さて、4月1日の映画は『塔の上のラプンツェル』です。

 

 

ご存じの通り、ディズニー長編アニメの記念すべき50作品目です。

僕は映画開始1分で、自分の目から涙が出ていることに気がつくまで、

この映画がアニメーションであることを忘れていました。

それくらいオープニングが素晴らしかったのです。

新宿ピカデリーで日本語吹き替え版で観たのですが、

アニメであることを忘れさせてくれる頭1分とは何だったのでしょうか?

 

語り部が状況設定を簡潔にナレーションで説明した後、主人公のラプンツェルが歌いながら踊ります。

塔の中に閉じ込められていてはいるが、私は楽しい、と。

人生は素晴らしい、と。塔の中は最高じゃないか、と。

 

もちろん、後から分析をすれば「塔の中」というのは「我々が住んでいる世界」と同義であることはすぐに分かります。

世界という不自由な場所に閉じ込められている我々は、ラプンツェルのように「人生は素晴らしい」と大声で歌いながら、ダンスできるのでしょうか?

そんなちっぽけな感覚が、涙腺を刺激したのでしょう。

 

でも、その時は、そんなことを考えもせずに、ただアニメを観ていたのです。

しかも、物語は「素晴らしい塔の中」から脱出しようと動き出します。

「素晴らしい」のに、なぜ外に出ようとするのでしょうか。

それは「知らないこと」が外にあるからです。

ラプンツェルは外の世界を全く知りません。

もっと素晴らしい世界が待っているかもしれないし、恐ろしい世界があるかもしれません。

それはラプンツェルには分かりません。でも外に出るのです。

 

恐ろしいことに、物語はまだ1分しかたっていません。

僕もまた、この1分を体感するために、つまり、素晴らしい世界に住んではいるが、

まだ未知なるものを探すために、今後も映画館に通うつもりです。

 

正直に言うと、僕の学生時代はアニメを敬遠していました。

「ディズニーアニメなんて子ども向けのもの」という意識がなかったとは言いません。

でも、そんな偏見は捨て去って、観に行くべきです。

4月1発目からとてつもない映画を観てしまいました。

今年、これ以上の映画に出会えるか不安です・・・。