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『モア・ザン・ア・ゲーム』@ヒューマントラストシネマ渋谷

 

 

 

NBAを代表するスモールフォワード(実はポイントガードからパワーフォワードまで4つのポジションをこなせるのですが)の中学、高校時代を追ったドキュメンタリー作品。

 

ポイントはレブロンの学生時代を掘ったものではなく、あくまでもチームの友情を中心に5人の中の1人として、レブロンが描かれている所です。

 

ここにレブロンのマイアミ移籍の秘密が隠されていました。一般的にはクリーブランドを裏切ったレブロン・・・という認識かもしれませんが、レブロンにとっては「土地より友」なわけです。つまり、ウェイドとの友情こそが大切であり、より具体的な選択をしたのでしょう。

 

デジタル上映なのが難点ですが、それを差し置いても傑作です。NBAファン、レブロンファンでなくとも楽しめます。

 

バスケで勝つことが目的ではない、人が成長することが目的。バスケで勝つことは手段に過ぎない。このテーゼは「バスケ」を「人生」に置き換えても通用する強いメッセージです。手段と目的、これを無意識に同時に追い求めるアメリカの力強さが胸に染みます。

 

 

『ブルーバレンタイン』@新宿バルト9

 

 

 

ある夫婦の「はじまり」と「おわり」をカットバックで丹念に追っていくラブストーリー、と一言で説明するとそうなります。

 

僕は映画に限らず、文学・音楽・粘土・落書き、何でもいんですが「なぜこの時代に生まれたのか?」を重視する傾向にあります。その理由は「作品は少しでも前進すべきである」という理想主義だからです。いつまでも過去の繰り返しでいたら、そのジャンルは停滞するに決まっています。例えば、時代設定が1920年のラブストーリーは徹底して1920年に寄り添わざるを得ません。そこに徹底することでしか作品は生まれないはずです。問題は、その後です。その時代を映し出すという「目的」があるのであれば、その時代を映し出す「手法」も前進してこそ、残り語り続けられるべき作品となるはずです。

 

そういった意味で『ブルーバレンタイン』の構造は、「2000年代初頭のアメリカ夫婦生活」を「カットバック」で追っていきます。例えば、これを戦前の日本に置き換えてみると「1920年初頭の日本の夫婦生活」を「カットバック」で追っていく作品となり、なんら変わりません。なにか観たことのありそうな映画じゃありませんか。

 

そして大問題なのは、説明過多なところです。こればかりは「お前の好みだ!」と言われればそれまでなのですが、台詞で主人公の吐露を説明するのはスマートではないことなど自明でしょう。

 

と、そもそも論から入ってしまいましたが、実はこの映画を大嫌いではないのです。ディティールはキテます。2人が喧嘩しながらも入るラブホテルの部屋名が「未来」だったり、旦那のマルチクリエイターぶりから生まれるラブソングの2種類の使い方、などなど素晴らしいシーンもたくさんあります。

 

で、す、が、「10年以上も脚本を練った」という事実は、こっそり教えてほしかったものです。そんなハードルは飛び越えにくいものです。