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2011.05.17 UP

『アンノウン』

『アンノウン』@新宿ピカデリー

 

 

 

 

大前提から話をすれば、リーアム・ニーソンが体を動かしている段階でにんまりしてしまいます。彼を好きになったのは『96時間』からなので最近です。『特攻野郎Aチーム』でも味を出していました。(調べてみると次回作は、『ハングオーバー2』じゃありませんか!! これは楽しみすぎますね)

 

というわけで、前評判が良い・悪い以前の問題で「評判がない」という最高の状態で劇場に向かえるのも、このあたりのゆるーい映画の特徴の1つですね。なにせ「ハードルがない」状態なので、100%自然体でレーンを走ることができるわけです。まさに理想の“着席”です。

 

<ベルリンを舞台に繰り広げられるアクション・スリラー>とのことなんですが、この類の作品には絶対のツッコミとして「なんで主人公はそんなにアクションできるんだよ!」というものがありますよね。そのツッコミがクリアになる設定に痺れました。脚本が練られている、というわけではなく(それももちろんあるんですが)、こういった通俗的なアクション・スリラーもそれなりに年月がたてば洗練されていくんだなぁ、という含蓄すら感じます。

 

「洗練された通俗さ」というのは駄作より断然気持ちいいです。本当はそんな作品を作るのは難しいはずなのに、映画文化が進化するとそういった作品が立て続けに出る時代が現れます。まさに、2010年代はそんな「洗練された通俗さ」を持つ作品が多い希有な時代になる気がします。進化と進化の間にある豊穣な時代とも呼ぶべきでしょうか。そうした作品に「中身がない」とか「深さがない」とか「メッセージ性が薄い」などと野暮につぶやいてみたところで、何も始まりません。だ、か、ら、こういった作品を僕は強く応援します。

 

前回書いたように、『キッズ・オールライト』の期待値が低かったせいもあり、幸せな2時間を過ごせました。

 

>「期待感」と、作品と我々の「距離感」が密接に関係している

 

これは期待感が強ければ強いほど、劇場において映画との距離感が縮まるんだと思います。近すぎる視点で観ると、どうしても盲目になりがちです。かといって客観的に観すぎても響くはずもありません。

 

ここも作品以前の話なので、また微妙なニュアンスになってしまうのですが、「客観的に個人的に観る」という状態が理想なのではないのでしょうか。そうするためには、前情報をシャットアウトするしかないのです。そして、劇場で前のめりできるだけ前のめる。これに尽きるでしょう。

 

ようやく『キッズ・オールライト』の話ができるんですが、決して「新しい家族のカタチ」を安易に提示しないエンディングに感銘を受けました。

 

むしろ「新しい家族ってそんなのは存在せず、あなたの家族しかあなたの世界には存在しないんだからね」と優しく囁きかけてくれる、そんなポジティブだけに留まらないメッセージに好感を持ちました。

 

タイトルも『ファミリー・オールライト』ではなく『キッズ・オールライト』。あくまでも、子ども目線なのです。この目差しがこの映画全体を支えています。傑作です。