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『ヒッチハイカー』@シネマヴェーラ渋谷

 

 

71分の小作品です。

 

説明文を引用。<1950年に起こった事件を、女優でもあるアイダ・ルピノが映画化。初のフィルム・ノワールとされる作品。メキシコに向かう2人の男が拾ったヒッチハイカーは逃亡中の殺人鬼で、2人にリボルバーを突き付け…。不幸な生い立ちと閉じない右目という身体障害のせいで犯罪に走ったと自己正当化する殺人鬼・マイヤーズの強烈なキャラクターが際立つ>

 

今でこそノワール作品は多いですが、その先駆けとも言うべきスリリングさは時代感含め貴重だと思います。

 

殺人鬼のキャラ設定も秀逸。右目が閉じない設定で「2人の男を24時間、銃を突きつけながら誘拐する」というエンドレス緊張感が続きます。

 

24時間ずっと銃を突きつけるため、寝ている間も銃を突きつけているのが恐ろしい。殺人鬼は右目が閉じないため、寝ている間も右目が開いていることに!!!!!!!!!!!!!! そこで、「俺はお前らをずっと見張るぞ。寝ているようにみえるけど、見てるぞ」と言い残して寝るのです。寝ないわけにはいかない殺人鬼の切なさ!!!!!!!!!!!!!!!

 

ここに「右目を開けて寝ながら、銃を突きつけ見張る」という、設定だけ見れば笑えるショットが誕生します。素晴らしいですね。

 

作品中、ほとんどのシーンで銃を突きつけているので「ヒッチハイカー」ではなく、「銃突きつけマン」という邦題はどうかな、などという蛇足をつけくわえてしまうほど印象は強く、痺れました。

『天国は待ってくれる』@シネマヴェーラ渋谷

 

 

ルビッチ、ルビッチ、ルビッチ。

3回呟いてから、スクリーンの最前線に身を構え、112分後には幸福に包まれすぎて、ここがラブホテル街ど真ん中の劇場ということを再確認して涙をこらえました。

 

物語は主人公が地獄の入り口にやってくるシーンから始まります。

 

「自分は地獄に行くのが当然だ。それは・・・」

 

と回想形式で進んでいきますが、この地獄の入り口シーンの演出がレトロでぶっとんでいます。この映画がアメリカで公開されたのが1943年。第2次世界大戦真っ直中なわけです。戦時中にこんなコメディを撮れるルビッチに乾杯です。

 

ボタン1つで地獄に堕ちるという古典的なアクション。そんなギミックからニューヨークのハイブロウな家庭生活へジャンプ。この落差がたまりません。

 

スクリューボール・コメディと呼ばれようが、ソフィスケイテッド・コメディと呼ばれようが、どっちでもいいです。どちらも傑作はあるし、駄作はあります。

 

作中に出てくる小道具『夫を幸せにする方法』は読むことより、生きることで掴むものであり、前者では永遠に掴めないのでしょう。

『アンチクライスト』@シアターN渋谷

 

 

ラース・フォン・トリアーの新作はいつも僕を惑わせます。

映画館に踏み入れるまで、オープニングは始まる前まで、その映画についての一切の情報を知りたくはないのですが、ラース・フォン・トリアーの場合、どうしても情報が入ってきてしまいます。

 

例えば『ドッグウィル』の場合だと「床に線が引いてあるだけのセットだけで撮影された実験的映画らしい」などの情報です。

 

今作でもやはり「エロティックすぎてとても日本では公開できない」といった情報や「シャルロット・ゲンズブールの性描写が史上まれに見る露骨さであり」といった情報が、ラース・フォン・トリアー作品を観る前に先行してしまうのは仕方がないことでしょう。

 

「観る前に試されている感」とでもいいましょうか、「お前はこの映画を観る勇気があるのか?」そんな問いを胸にスクリーンの前に座らなくてはならない、といった趣なのです。

 

で、観ました。

引用しますが「悲しみに暮れるカップルが森の中の小屋に引きこもり傷心と結婚生活のトラブルを修復しようとするが、自然が牙を向き自体は悪化していく」というコンセプトが力強く貫かれています。

 

ポイントは、主人公である夫婦しか登場しないということでしょう。ほぼすべてのシーンが二人だけです。他にはまったく登場しません。

 

このフリが絶望的なカットのフリだと感じたのですが、「二人だけしか登場しない」と「すべての人が同時に写っている」という奇跡のコントラストが表れてきます。

 

ラストカットでは、シーンとした劇場の最前列に座りながら、口元が歪みました。唇が渇いたわけでもなく、笑うでもなく、「この監督アホだなぁ」という口元になっていたのかもしれません。